1999年12月04日
ピープルファースト大会in大阪
日時(にちじ):1999年12月4日(土)~12月5日(日)
場所:大阪府高槻市 高槻現代劇場
<大会当日のスケジュール>
12/4(どようび)
12:00 うけつけ
13:00 開会式 開会せんげん、あいさつなど
13:50 全体会 「10分スピーチ」
15:20 休けい ・メイクコーナー
・喫茶コーナー
・お楽しみコーナー
・おしゃべりコーナー
16:20 デートゲーム
17:30 立食パーティー
19:00 ダンスパーティー 「ザ・ブッタ」のえんそう
20:00 おわり ホテルへいどう
12/5(にちようび)
9:30 分科会
1.元気がでるはなし
2.お金について
3.サングループ事件
4.グループホーム交流会
5.ガイドヘルパー
6.れんあいとデート
7.友だちとしゅみ
8.ピア・カウンセリング
9.じりつ
10.北海道ピープルファーストができるまで
11.けっこん
12.支援者の分科会
10:30 休けい ジュースがあります
11:00 閉会式 ピープルファースト宣言
スローガン
11:45 おわり
↑奈良大会の時のT.J.モンローさんのように、わたしたちもかっこよく演説をしよう!という案が実行委員会でとり入れられました。オーディションを勝ち抜いた6名が大会初の「10分スピーチ」を大きな舞台に負けない力強さでおこないました。
←デートゲーム担当の大澤さん(左)と本山さん(右)。舞台の上で行なわれましたが、あまりにも多くの人が舞台に殺到し、担当の二人も身の危険(!)を感じ、これ以降、舞台の上でデートゲームを行なうことはありませんでした。と同時に、素敵な人とめぐりあいたい、というニーズの高さを皆、改めて感じました。
ダンスパーティーも、前が見えないくらいの人が集まり、みんなノリノリで、大きな盛り上がりをみせました。
閉会式では、大会実行委員が、ピープルファースト宣言をよみ、スローガ
ンをパワフルに行ない、参加者によびかけました。
当時の報告・感想
ピープルファースト大会IN大阪をふりかえって
滝川峰子
1999年12月4日~5日、大阪府高槻市にて、「第6回ピープルファースト大会IN大阪」が開催された。会場となった高槻現代劇場には、知的障害をもつ当事者と支援者、約1000人が集まった。1年ぶりの友達との再会に喜ぶ声、初めての参加にドキドキしている顔から、年に1度のこの大会を「待ちに待った!」という雰囲気が伝わってくる。
開会宣言に続き、各都道府県のプラカードを持った人たちが入場行進し舞台にあがると、会場からは大きな歓声があがった。プラカードの入場行進は、ピープルファースト世界大会に参加し、国旗の入場行進に感動した大阪大会実行委員長・生田進さんのアイデアだ。「大阪らしい、にぎやかな」幕開けとなった。
3月の会議
昨年3月、全国実行委員のメンバーが集まり、「次回の大会について」話し合いがもたれた。年々大きくなる大会を自分たちでどう運営していくのか、当事者、支援者交えての議論は2日にもおよんだ。
「自分たちのペースで準備を進めていくためには、大会は2年に1回にしてはどうか」
「毎年、楽しみにしている仲間がたくさん待っている」
「支援者が関わりすぎてる」
「地方だと、会場探しが大変」
「ピープルファーストを知らない人に知らせて、もっと広めたい」
「今年はもう、時間がないんじゃない?」・・・
さまざまな意見が出されるなかで、年々大きくなる大会、支援者の役割とは?当事者のペースとは?・・・と、考えなければならないことが頭の中をぐるぐる回る。どうすればいいんだろう・・・と思っているとき、実行委員の1人が「みんが1つになったら、すごい力が出る」と発言をした。その発言は、支援者としての私の迷いを吹き飛ばし、「これはもう、大きかろうが時間がなかろうが、やっていくしかない!」「心配ない。みんなの力を信じよう」と思わせるのに十分なものであった。そして、生田さんが「ほな、大阪でやりましょ」と言いいくつかの問題を抱えながらも、大阪で開催することが決まった。
準備期間は短いが、実行委員のメンバーは、毎月大阪に集まり、準備を進めてきた。メンバーの感想を交えながら大会を振り返ってみようと思う。
私たちの話をきけ!(スローガンより)
1日目は、開会式後、オーディションで選ばれた6名の当事者による「10分スピーチ」があり、各自がこれまでの人生や、夢、これからやりたいことなどを語った。みんなの口から出てくる、これまで受けた暴力や虐待の体験には、胸を締めつけられる思いがしたが、スピーチする横顔は、どの顔も大舞台にもひるまない力強さが感じられた。
大会終了後は、友達ノート(アドレス帳)を交換し合ったり、メイクコーナーで夜のダンスパーティに向けて大変身している人、手品やパントマイムで楽しむ人、思い思いの過ごし方をした。大ホールでは、ピープルファースト大会の隠れイベント、「デートゲーム」が華々しく開催された。ノリノリの司会者に誘われるように、今年も希望者が大勢舞台に押し寄せ、何組かのカップルも誕生したようだ。
夜の交流会は、2ヶ所に分かれての立食パーティとお待ちかねのダンスパーティで、会場は熱気に包まれた。
2日目は、「自立」「恋愛とデート」「サン・グループ事件」「北海道ピープルファーストができるまで」など12の分科会に分かれ、リーダーを中心に、ゲームを交えながら意見を交換しあった。当事者よりも支援者のほうに、「分科会は難しい」という先入観があるのだろうか、それぞれのリーダーは 、みんなが参加しやすいよう工夫を凝らしているのに、とても残念だ。
閉会式。舞台の袖に集まった実行委員のメンバーたちは、「よし、最後だ、がんばろう!」と声をそろえ、力強く舞台に上がっていった。全員で、ピープルファースト宣言、スローガンを読み上げ、来年東京で大会を開くことを発表し、ピープルファースト大会IN大阪は幕を閉じた。
実行委員の人にききました
* 全体会はどうでしたか?
・ ちょっと難しかった。もう少し、もりあがればよかったな。
・ 大会のテーマがあれば、みんなでもりあがったのに、今年はなかったから。
・ 会場から意見を言ってもらう時間が、あれば良かった。
* プログラムをゆったりとしてほしいという意見があり、休憩時間も長く取りましたが・・・
・ 友達とゆっくり話す時間があって、良かったと思う。メイクコーナーも人気
があった。
・ 喫茶コーナーは、車椅子の人たちが通りづらかった。あと、会場がわかりにくくて、行きたいコーナーに行けない人もいたみたい。
・ デートゲームは、希望者が殺到して危険だったなあ。
* 全体を通してかんじたことは?
・ 初めて来た人がたくさんいたのでよかった。でも、今まで来てた人たちが来ないとつらい。
・ 大会の前の晩、来年はどこでするか実行委員で話し合った。いろんなところで大会はしたほうがいいと思うけど、まず実行委員に入って、一緒にやってから大会を開いたらいいと思う。
・ 「人権」や「差別」をテーマにした分科会を希望する人がすくなかった。楽しいテーマだけでなく、もっといろんなことが話し合えるような場をつくりたい。
・ 支援者と話し合える場をつくりたい。少ない人数で当事者と支援者が意見を言い合えるような・・・。
さいごに
3月の会議でも支援者がどう関わるかが、論点の1つとなった。当事者が「自分たちで決めて、自分たちで実行する」ことを支援することは原則であるが、千人の大会を開催していくには、支援者が動かざるを得ないことも多々あった。原則を基本に据えながら私たちがどういう支援をしていくのかが問われているのだと思う。そうした中でも当事者は着実に力をつけ、感想からも」これまで自分たちがしてきたことに自身と誇りを持っていることが分かり、とてもうれしくなった。
最後に、ピープルファースト大会IN大阪に多くの方々にご支援して頂きありがとうございました。来年の東京大会でもどうぞよろしくお願いいたします。
(福祉労働86号現代書館刊(げんだいしょかんかん)より転載)